「Noa Yoshi Information」カテゴリーアーカイブ

  【ロミロミのオイル】  

afterfocus_1463543132043

※【ロミセラ】ハワイの癒し研究会~ロミロミとハワイアンヒーリングをもっと勉強したいセラピストたち~より

https://www.facebook.com/groups/lomithera/  

潤滑系ロミロミにオイルは必需品。 アンティマーガレット女史がコスト(コストコ)で売っているサラダオイルを使っていたのにビックリしたのを覚えていますw 文献によると、昔のカナカロミロミ(ロミロミセラピスト)のお気に入りは、ココナッツオイルとククイナッツオイルだったそう。 ククイナッツの油はランプにも使われて「未来を照らす」ということで縁起が良いとされて人気だった、とのことですよ。 

 

クウイポハワイアンロミロミスクール&サロン


 

 

【ハワイでのハイキングやヘイアウの訪問の仕方について】

 

dvd_heiauhandS

※【ロミセラ】ハワイの癒し研究会~ロミロミとハワイアンヒーリングをもっと勉強したいセラピストたち~より
https://www.facebook.com/groups/lomithera/

以下はティーリーフに包んだ石をヘイアウに捧げようとした行為を、ハワイアンに叱られた人に対して
「ハワイでのハイキングやヘイアウ訪問をするときの心構え」
をハワイアン(Sam Ohu Gon IIIさん)がFacebookで説明している一文です。
ひとつの意見として参考までに。

(ハワイで)ハイキングをする前に行う(儀式の)プロトコルのために時間をとる目的は、(ハイキングをする大地に)尊敬を示し、許可を得、その意図を声に出すことです。
古代、hoʻokupu(感謝やアロハを込めた捧げもの~もしくは捧げる祈り)はそのプロセスの一部でした。しかし、今日の世界で大切なことは、(その大地を)特別な場所として感謝し、これから足を踏み入れるということを宣言し、許可を得、インスピレーションとプロテクションを求めることです。
hoʻokupuのひとつは、丁寧で静かなふるまいと注意深い態度。そして、すべての感覚を通してwao(大地)があなたに伝えてくるものを取り入れます。
敬意を見せることに年齢は関係ありません。しかし、何をするべきかを経験と知識で知っていることが大切です。
hoʻokupuを行うことは、その土地のakua(神)にマナを伝えるダイレクトで明解な方法でした。
(しっかりとした考えや気持ちがあれば)フィジカルな儀式を行わなくてもマナを伝えることができるはずです。
ヘイアウを訪問するとき、ヘイアウ内に入らない方が良いと思われます。
古代、(ヘイアウには)首長のカフナやアリイ(王族)のみが入ることを許されました。
静かにしていることは、ヘイアウにおいても、自然の(ハイキングをする)大地においても大切なことなのです。 両方とも、神聖なところなのですから。

  ロミロミとは…【古代ハワイアンが行っていたロミロミの現場】

nc hawaii20110522 326-thumb-400x266-787 ※【ロミセラ】ハワイの癒し研究会~ロミロミとハワイアンヒーリングをもっと勉強したいセラピストたち~より https://www.facebook.com/groups/lomithera/

次は、アンティーマーガレットの最初の生徒、3名のうちの一人であるTamara女史の言葉。まだロミロミがリラクゼーションになる前のロミロミを伝聞しています。

≪伝統的なロミロミヒーリングセッションは診断からはじまった。そして祈り、絶食などをスチームハット(蒸気小屋)で行った。病気が見つかると、熱した石での施術、ハーブ治療をはじめた。カフナは患者の症状に合わせたロミロミを行った≫

(Tamara Mondragon, 2000/「Na moʻo.lelo Lomilomi」R. Makana Risser Chai) ※ロミロミとハワイアンヒーリングの教科書/Noa Yoshiより 

 

クウイポハワイアンロミロミスクール&サロン


 

 

shimada01S

朝日と向き合う。

深呼吸する。

太陽の温かさと眩しさを思いきり吸い込んで、少しだけ息を止める。

そしてゆっくりと自分の中にあるモヤモヤを吐き出す。

自分の心の中で、何かがストンと落ちたような気がする。

 

…ハワイのプナホウ岬でハワイアンの爺さんに習った「ひとりホオポノポノ」。

おそらくこのことを「祈り」とよんだりするのかもしれない。

 

最近、体にいいということである漢方のサプリメントを摂取しています。

直径3~4mmの小粒のサプリメントで、大びんの直径8cmくらいの口から掌の上に流し出すわけですが、12粒~16粒が1回の推奨摂取量。

最近慣れてきて、サッと掌の上に瓶から流し出すと1度でこの推奨摂取量を出すまでに私の「漢方薬出し技」は熟達しました。

そして不思議なことに10回中8回は掌のサプリメントがどういうわけか13粒になる。

けっこうすごいじゃねーか。

でも、どうしても13という数が不吉に思えてきて、1粒を減らすか増やすという余計な作業を行うのが日常になりました。

 

それにしてもなんで13粒が嫌なんだろう。ふと気づいて考えてみました。

そういえば「13という数は不吉」っていうのを常識だと思っていた。いつのまにか。

13日の金曜日、ゴルゴ13、アポロ13…13の忌数字を逆手に取った物語もあったり。

物心ついた時から13を避ける人たちに囲まれていて、13にまつわる不幸話をたくさん聞いていて。

理由はキリストさんの処刑台が13階段だったから。キリストさんの13番目の弟子が裏切り者だったから、っていう漠然とした知識しかない自分に気が付いたわけです。

日本では4=死、9=苦なんかが忌数字で、昔なんかは病院に4階と9階がなかったりしたもんです。(いまもそう?)

でも4とか9よりも13を避ける自分がそこにいたりして。

別にキリスト教徒でも西洋人でもないのになんで13を避けているんでしょうね。

 

調べてみると(っていうかWikipedia見ただけだけど)こんな理由もあるらしいんだけど…

「未知数」説
原初人間が身体で計算できた数は手指の10と両足の2、計12であり、それを上回る13は「不可能(未知)の数」であるから本能的に恐れたとする説。

「非調和な数」説
古代より暦の必要性から時間や方位などに六十進法が使われており、中でも60の約数の一つである12はそれらを構成する基準の数として、12か月や12時間、12方位などのようにしばしば用いられてきた。生活に広く根付いた基数の12に対し、12より一つ多く素数である13は、その調和を乱すものとして不吉な数と考えられた。

 

まあ、いずれにしても少なくとも僕の生活にはあまり関係のない話で。

なんでそんなこと…迷信…に縛られているんだろう。

迷信、って余計だなぁ、って。

迷信のおかげで行動が制限されたり、意味のないプレッシャーをかけられたりするわけで。

心理学的に言うと、こういう縛られるプレッシャーっていうのが人間の精神には負担になることが多いのです。

几帳面な人ほど心因性になりやすい、なんていうのもそういうことなんですよね。

 

昔のハワイでいえば、迷信が「カプ」っていうタブー、やってはいけないこと、規則みたいなものになる。

女性と男性が一緒に食事をすると悪いことが起きる。

身分が上の人(酋長とか)の影を踏んだらマナを汚したことになるから死刑。

などなどのカプがあった。つまり迷信が法律を形作っていたような感じ。

 

もちろん役に立つ迷信もあるわけです。

産卵時期の魚を取ってはいけない、とかいう理にかなったものもたくさんあった。

日本でいえば「~~をすると罰(バチ)が当たる」なんていうのは、人間の道徳や倫理・哲学を教えてくれるとても素晴らしいものである場合が多いわけで。

こういうものがなくなったら人間は終わってしまう気もする。

 

余計な迷信は人間をダメにする、理にかなった迷信がなくなったら人間はダメになる。

いやはや、むずかしいぞ、迷信。

 

縛られる、ということが人間の精神と行動にどれだけ無駄に作用するか、っていうことを考えると、自分にとって必要な迷信なのか、自分の撮って不必要な迷信なのかを見極める「自分自身の倫理・哲学感」をもたないといけないのだなぁ。

一度、自分が縛られている「迷信」が、自分にとって必要なものか必要でないものかを考えてみると、心が軽くなるかもしれません。

 

ごくまれに、CMでジンワリと目頭が熱くなることがあります。

もちろん、ジンとくるその時の心情やシチュエーションがぴったりとマッチしたときだけに、ですけど。

たとえば、このauのCMは浦ちゃんの「海の声」含めてシリーズ的になんだか好きなんだけど、これは特に音できちゃいましたね。

懐かしくてやんちゃでピュアでな映像と、人間らしい歌詞とAIの歌声と。

 

『みんながみんな英雄』 歌詞:篠原誠

特別じゃない
英雄じゃない
みんなの上には空がある

雨の日もある
風の日もある
たまに晴れたらまるもうけ

振り向けば君がいる
前向けば友がいる
走って、転んで、寝そべって
新しい明日が待っている

悩んでは忘れて
忘れては悩んで
明日、あさって、しあさって
新しい未来がやってくる

 

おそらくもっと素晴らしい楽曲や歌詞はたくさんあるんだろうけど、少なくとも今回はこれにグッときちゃったわけです。

『雨の日もある、風の日もある、たまに晴れたらまるもうけ』

『走って、転んで、寝そべって、新しい明日が待っている』

みんな、こうやって生きているんだなぁ、なんてなんだか心が軽くなったりして。

 

癒しの仕事っていうのは、こういうものなのかもしれない。

お客さんにグッときてもらうこと。

 

最近、そんな風に考えています。

そう考えると、我々の仕事の原点っていうのは(ロミロミにしろなんにしろ)、感動を想像して提供することなんだ、ということになる。

なかなか、いい仕事してるじゃん、オレ。

もっと感動を作る、という仕事を襟を正していかなくちゃいけねーなあ…

などと(かなりクサいけど)、もう一回だけグッときちゃった今日の朝なのでした。

 

EWF

モーリス・ホワイト、アース・ウィンド&ファイアー。

かっこよかったなあ。
僕らの世代のちょっとおしゃれを気取りたいヤツらは、あれこれとウンチクを語ったもんです。

なにをかくそう、今でも広島行きの僕の車の中では彼らのベストは必ずかかるわけで。

あの世界観はかなり強烈だった。
愛とか平和をテーマにする曲が多かったなかで、宇宙を表現した、という。
おそらくこの世界観が僕のいまの古代ハワイアン好きに繋がっているのかも。

憧れのスター、とか言うんじゃなくて、憧れの世界、そのものだったような気がします。

最近、その憧れの世界に居た人たちが、どんどん亡くなってる。

寂しいと言うよりも、自分がそういう世代に…憧れの世界にいた人たちを送り出す歳になったことにに驚いている次第。

はたして今の十代の諸君には、こういった強烈な憧れの世界はあるのだろうか。
なかったとしたら、それは僕たちの責任だ。

合掌。

dvd_hawaii_image014

3年前の大島渚氏葬儀の礼状にあった本人直筆のメッセージ。
私がもらったわけではないのですが、知人がいただいたのを見せてもらったのです。

あの当時は、この言葉がなんだかその時の自分の心に響いたんですよね。グッときた、というか。

最近、自分の運命を
「人から与えられるもの」
「天が決めるもの」
と思っているのか、思ってもいないのか、自分発信で行動しない人が増えているような気がします。自分も含めて。

あるハワイ伝統医学の達人のワークショップで通訳をしていた時に、生徒さんに向かって彼が言った言葉を思い出します。

「なんで君たち(日本人)は自分から行動しないんだい?」

ロミロミを習いに来るほとんどの日本人が、言われたことをやるだけ。
言われたことは器用にこなすんだけど、応用が利かないし、新しいものを自ら学ぼうとすることがない。
できないでいることについては「だって教わっていないんだもん」で終わり。

ロミロミっていうのは日本でいうと落語と似ています。
師匠の技をこぞって盗む。これが基本。

ですから「学ぶ」ということは「先生が生徒に伝える」のではなく、「生徒が先生から引き出す」のが常識なわけです。

ある東大の先生に言わせると、日本の教育は「グライダー教育」なんだそうです。
自分で飛び立つことを教えない。
先生が手取り足取り手伝って飛ばしてあげて、そのあとは個人の自由。
だから飛び続けることも、着陸することも苦手なんだそうです。

自分も含めて、恵まれ過ぎているんだな、と思います。

別に大きなクルーザーや別荘を持っているわけじゃないけど、ボーっと生きていても食いつないでいけないことはないわけで。

時々「なんとなく」生きていることにいつの間にか埋没してしまっている自分に気づいたりします。
この言葉と出会ってから3年。ちょっと埋没しかけているかも。

自ら燃える存在にならなければ。

調べてみると冒頭の言葉は、明石海人という方がハンセン病と闘いながら残した「白描」という歌集の序文にある言葉です。
歌の方は昔の文体で、なかなかおどろおどろしいところもあったりしてなかなか読みにくい。
ただこの序文が、いまの健康でいて何不自由ないはずの自分にとって、心の奥底を奮い立たせてくれるものだったので、ここに残しておきたいと思います。


白描 明石海人

序文
癩は天刑である
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。
― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった

 

ロミロミ・スタディ Lomilomi Study③

【フラ、チャント、オハナ】

『クムフラ』イシュマル・W・ステグナー著(”Kumu Hula” by Dr. Ishmael W Stagner)より。 なんとなく、ハワイアンの現実と信仰の関係がイメージできたりして。 フラっていうのはこういうものなんだ、と再認識する話ですね。

古代ハワイアンの家族(オハナ)の絆はものすごく強いものでした。 それは、宗教および日々の仕事、戦争や平和にまでわたるものでした。 チャントのときに踊られる踊りは、目に見える世界と目に見えない世界をつなぎました。 人間はフラを神と支配者に献上することで、お互いの尊敬を表現したのです。

[2011年 イシュマル・W・ステグナー]

The family ‘ohana’ was the unifying force in everyone’s life. It brought together religion and daily work, wars and peace. Dance accompanied by chant formed a major link between the unseen forces of heaven and visible world on earth. Humans honored their gods and rulers with hula and paid respect to each other with hula.

 

クウイポハワイアンロミロミスクール&サロン


 

 

Fire

寒い。ここ数日、ほんものの冬になってきました。車の温度計は-1℃。そりゃ寒いわけだ。

-20℃のスウェーデンに住んでる友人からは笑われるだろうが、-1℃だって寒いものは寒い。

まだ空が暗い朝6時には(遅くとも)家を出なければいけない犬の散歩は、戦いへの出陣と一緒。冬の痛さから身を守るためには戦いに出るレベルの完全防備が必要なのです。

頭はニット帽子(最寒のときには北の国からのゴロウさん的な耳隠しのある帽子になります)、マフラー、極暖ヒートテックに山用の分厚いダウン、裏フリースのパンツ。

そんな寒さとの戦いの中で、太陽が海から顔を出す瞬間はとてもホッとする瞬間でもあります。特に寒い冬には。

太陽が頭を出す瞬間、空はパアーッと明るくなり、フワッとした暖かさが空気いっぱいに広がっていく。

かなり古い表現だが加山雄三氏の「幸せだなぁ」というセリフが頭をよぎったりして。

そんな中で、ふと思ったのでした。

「そういえば最近、『火』を見なくなったな」

と。

今朝はこの「火」について思いをはせたのでした。

 

つい最近まで、石油ストーブにガスコンロ、ちょっとお金持ちの友人の別荘には暖炉があったり、田舎のばあさんのところに行くといたるところでたき火で焼き芋を作っていて、火はすごく身近なものでした。

それが今やエアコン暖房、床暖房にIHコンロ、たき火をするおじいさんの数もめっきり減っていたりして。

火を見る機会は極端に少なくなってきたような気がします。

火。

人間に明るさと温かさを与え続けて50万年と言われているそうです。

はじめのうちは落雷や火山で自然発火した火を大切に絶やさないように守り続けていた、とオリンピックの聖火みたいな話もあったりして。

火山の噴火や火事といった災害をもたらすのも火、明るさと温かさ、そして肉や魚を焼き、獣から守ってくれる人間として生きていくのに欠かせないのも火、っていうわけなんですな。

人類の火への想いとは、こういった畏怖と愛ではないでしょうか。

この想いは日本人やハワイアンが今でも心の中に持っている自然への気持ちと似ているのかもしれません。

だからこそハワイアンに一番人気?の神様はペレ、火の神なのかも。

今でも噴火を続けているキラウエア火山(ハワイ島)の火口に住んでいる火の神ペレは、火山に対する人々の畏怖心と、それとは裏腹な憧れにも似た愛情を集めています。

 

考えてみると、人間を取り巻く環境というのはそういうものなのかもしれませんね。

魚、という恵みを与えてくれる海は津波で人を襲い、

雨、という恵みは洪水や地滑りで人を襲い、

大地、というなくてはならない恵みは地震で人を襲う。

それだけではなくて、

自分にとって不可欠だった夫(妻)が、いつの間にか敵対する存在になっていたり、

自分に何でも与えてくれていたお金が、いつの間にか自分を追い込む存在になっていたり。

 

「無くてはならないものは、時にはとても怖いものにもなる」

っていうのが世の常なんでしょうね。

 

火が明るさと暖かさを与えてくれていた時代は、おそらく感動のハードルが低かった。

たとえば、どんなに寒いときにでもたき火の周りに人が集まり、寄り添っていた。

でも、明るさや温かさを電気が簡単に作ってくれていると(本当は簡単に作ってくれてるわけではないんだけど)、感動の矛先がテレビやスマホやゲームの画面の中に閉じ込められている、みたいな。

文字通り、温もりが失われている、みたいな。

 

ありがたみ。

これを忘れてしまうと、人の温もりや感動も忘れることになってしまうのかもしれません。

畏怖があってこその、ありがたみ。

 

火に、自然に、そして妻に、家族に、犬に、友人に、ありがたみを感じていたい、と思った朝なのでした。

このページの上部へ

Noa Yoshi Profile

●Island-Wellness Co.,Ltd.代表
●クウイポロミロミスクール&サロン経営
●執筆、講演活動(ハワイ・ポリネシア・ヒーリング・サロン経営)
●国立琉球大学国際地域創造学部ウェルネス研究プラットフォームアドバイザー
(略歴…Amazonより)
東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、広告業界でマーケティングプランナー。旅行関連の広告宣伝にたずさわり島にハマる。その後ハワイに渡り、マッサージ会社を設立、ハワイのヒーリング研究のためネイティブハワイアンのカフナ(高位の専門職)や長老のインタビューおよび文献研究を始め、現在に至る。
(執筆した本など)
http://www.amazon.co.jp/NOA-YOSHI/e/B006474ZB8/
(Facebook)
https://www.facebook.com/noayoshi
(Instagram)
https://www.instagram.com/noayoshisan/
(Twitter)
https://twitter.com/noa_yoshi

最近のピクチャ