「ウクレレなんてーのは、左手で持って右手で弦を引っ掻けばいいだけじゃねーか」 by ハワイの友人J
今から15年前くらい。オアフ島。あるハワイの友人の婚約祝パーティでの話。 (パーティとはいっても、オアフ島の山奥にある婚約した友人の庭…庭というよりはただの空き地…で各々が得意料理を持ち寄るポットラック形式のただの家飲みの会なのだけど。) 約30人の親戚一同や親しい友人たち。酒がまわってくると必ず誰かがウクレレを弾きはじめて、恰幅のいいオバちゃんが立ち上がってフラを披露する。 まあ、このウクレレを弾きはじめたオッちゃんというのがCDも出しているというなんとかいうプロミュージシャン(けっこうあちらでは有名らしい)で、フラを踊り始めた恰幅のいいオバちゃんというのも日本の雑誌で紹介されるクム(先生)だったりするので、やけに完成度が高い。 しかし完成度の高いパフォーマンスは長くは続かない。 一斗缶を乱れたリズムで叩きだすオジイ、チューニングの外れたギターを弾きだすヤングマン、阿波踊りのような自称”フラ”を踊りだすオバアちゃん…。 パフォーマンス的には台無しなのだけど、やけに盛り上がってくる。 私にも誰かのウクレレが廻ってきて「弾け」といわれる。 そのころ「カイマナヒラ」くらいしか弾けなかった私が弾くのを躊躇していたとき、ハワイアンの友人Jに言われたのが冒頭の言葉だ。 「ウクレレなんてーのは、左手で持って右手で引っ掻けばいいだけじゃねーか」 まあ、そりゃそうだけど。 しかたなくC…G…Fの繰り返しをいい加減に重ねていく。 なんだか楽しい。 そのうちにコードなんか関係なく、いいかげんな音を出しながら、じゃかじゃかしたくなってくる。 気が付くと、その私のいい加減なウクレレに合わせて、みんなでフラを踊っている。 Aloha! 宴席というのをそれまでに何百(もしかすると何千)重ねてきた私ですが、こんなに気持ちのいい、心が解放された宴会は初めてだったのでありました。 そう。その時思ったわけです。 私…というか日本のけっこう多くの人が中途半端な完璧主義になっていて、何かを犠牲にしているのかもしれないな、と。 この話の場合、「ちゃんとウクレレ弾けないのにみんなの前で弾いたらいけない(恥ずかしい)」という中途半端な完璧主義のおかげで、ハワイアン流のド宴会の楽しさを感じることを犠牲にするところだったわけで。 もちろん完璧に近づけようとすることはいろんな場面で大切だと思う。 でも、みんながはじけて楽しくなることが一番大切な宴会で、私ごときのウクレレの完成度などはまったく、誰にも求められていないのです。 誰にも求められていないことを自分自身で勝手に気にするというのは、意味のないエゴなわけで。少なくとも私にはカッコ悪いことであると思われるわけで。 無駄な完璧主義を捨てると、何かが吹っ切れて、素敵なことを得る場合が多い。 このことがあってから、宴会にはできるだけ溺れていくことにしています。 カラオケで、歌がドヘタにもかかわらず、先陣を切って歌い、場を盛り上げるある友人を見ながら、このエピソード思い出した次第です。