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最近できた友達でTちゃんという娘っ子がいます。

Tちゃんといいます。

私よりはかなり年下の娘っ子ですが、女友達です。

このTちゃん、気が強そうな、でも実は繊細そうな、でもやっぱり強そうな、でも…

女性というのはいつまでたっても理解できないものなのだけれども(笑)、この人はその中でもつかみどころがない。

まあ、まだ数回みんなで飲みに行ったりネット上で話す程度の中ですから、相手は友達と思ってるかどうかすらわかりません(笑)。

 

ただ一つだけこのTちゃんからとても大切なことを今更ながら学びました。

それは

人間関係というのは根気だ、ということ。

 

とにかくこのTちゃんは「余計なお世話だ」と思うような人間関係のおせっかいをする。

たとえば知り合いや友達同士のけんか。

本人はそのとばっちりで自分自身がいやな思いをしたりしているのにもかかわらずおせっかいをする。

おせっかい、といっても直接何かをするわけではありません。

根気強く、辛抱強く両方を和解の方向に向かうように仲直りに向けて少しづつ仕掛けをしたりするわけです。

本当に小さな仕掛けなもんだから喧嘩している本人同士は全く気付かない。

 

 

Tちゃん、自分の友達同士がけんかしたり仲たがいしてしまうのがどうしても嫌ならしい。

 

オイラなんか、他人事は放っておくに限る、と思ってしまうだけではなく、

火に油を注いで喧嘩が盛り上がっちゃうことを楽しみにしてる(笑)人間にとってはとても信じられないことです。

 

Tちゃんのすごさは「絶対に人間はわかりあえる」と信じていること。

それも確固と信じてゆれたりぶれたりすることがないことです。

確かに私が見ている限り数回あった「Tちゃんが心配する事態」はすべて「仲直り」という結末を迎えているようです。

 

確かに「許せない」もしくは「許せるはずがない」関係というものもあるのかもしれません。

たとえば自分の娘を殺されてしまった親。

犯人に対しての憎悪、持っていても何もならないことはわかっていても消すことは大変なことでしょう。

ただ、世間一般にある喧嘩というのはたわいのないことが多いわけです。

怒っているその時は、その人に見栄や意地、面目や感情の流れなどがあってすごく一世一代のことに思えてしまう。

だからお互いに譲らない。

譲らないからどんどん泥沼に入ってしまう。

 

人のけんかなんていうのはきっとそんなもんなんです。

おそらく世界で怒っている喧嘩のうち99%(もしかしたらほぼ100%)は一歩引いた大きな目で見たらとるに足らないものなのかもしれません。

 

ハワイの思想で

健康で居たければ、ホオポノポノ、ホオマエマエ、ラアウラパアウを実行しなさい

という医学的な思想があります。

 

ホオポノポノとは心をクリアにすること。

ホオマエマエとは身体をクリアにすること。

そしてラアウラパアウは規則的に理にかなったものを口に入れるいこと。

のことです。

 

ハワイアンでも仲間(オハナ=家族、一族)内でのわだかまりやいざこざは日常茶飯事のことです。

このようなことが起こると一族はすぐに集まって会議や儀式をします。

わだかまりやいざこざをきれいさっぱり「水に流す」ための会議です。

これが本当の「ホオポノポノ」です。

白人は「許す」といういい方をしますが、能動的で押し付け的な「許す」というよりも、「水に流す」とか「ゆずりあう」という言葉の方が日本人には理解しやすいかもしれません。

冷静になって一歩下がって大きな目で事象を見据えてみる。

そうすると考えていたことがくだらないことだったことが見えてきたりする。

 

Tちゃんがどっしりと「いつか人間はわかりあえる」と信じて微動だにしないのはこの思想を肌感覚として理解しているからなんだとおもいます。

人間関係の中で喧嘩は、放っておいても仲直りしないでそのまま決裂するかもしれません。

そのかわり気がつかないようなきっかけや方向付けで仲直りの方向に向かうことは容易なのかもしれません。

時間の解決、とはそういうものです。

 

一歩下がって大きな目で物事を考える。

人間関係だけではなくても生きている中でとても大切なことなんだな、

これこそがホオポノポノなんだな、と再認識させられた次第です。

 

Tちゃんありがとね。

 

実は、もう一つ学んでることはあるんだけど、それはまた後ほど。