カテゴリー別アーカイブ: 酋長の落書き、な話


2018年、新しい年を迎えるにあたってやっぱり「開運グッズ」の話題は気になるところ。昨年末にある仕事で「ハワイのラッキー伝説」を調べる機会があったので、そのこぼれ話として、ハワイフリークのための「ハワイ開運グッズ」の話を紹介します。

ラッキーアイテムというのは、その民族や地域の伝説や習慣、信仰によって作られ伝わっているもの。なのでハワイに伝わっているラッキーアイテムが必ずしも日本人に幸運をもたらしてくれるわけではないのかもしれません。しかし、どうせだったら大好きなハワイをいつでも感じていられるラッキーアイテムを身に付けていたいと思うハワイフリークも多いはず。

おまけに古代から受け継がれているハワイアンの「自然を神として大切にする」アロハスピリットは、山の神や海の神を信じてきた日本人のスピリットにとても近い。ある意味ではキリスト教を信じる今のハワイアンよりも日本人のスピリットの方が昔からのハワイのスピリットにマッチしているような気もします。

ラッキーアイテムを身に付けるのが当たり前だったハワイアン

亡くなったシンガーのIZ(イズラエル・カマカヴィヴォオレ)が大きなフィッシュフックのペンダントをいつも身に付けていたように、神聖なフラの儀式では厄除けの葉キィー(ティーリーフ)を腰に巻いて踊ったように、戦士たちが自分の身を守るためにイカイカのタトゥーを入れたように、ハワイアンは自分やオハナ(家族・一族)を守るために、そして自然の神々に失礼のないように、自分たちの信じるラッキーアイテムを身に付けていました。そしてそのアイテムを身に付けていることで自分自身を清め、勇気をもらいエネルギーをいただくのだと信じて生きていたのです。

朝起きると太陽に祈り、食べ物を収穫するときに祈り、家やカヌーを作るときに祈り…というように生活のすべての場面で祈りを捧げていたハワイアンが、身近に守護神のシンボルを持っていたかった気持ちはよくわかりますね。

マカウ( フィッシュフック)ペンダント

ハワイアンは海とともに生きる人たち。海とのつながりの中で生きていることを大切にし、海を愛し、尊敬し、時には恐れていました。マカウは古代から魚を捕るために使われてきたフィッシュフック(釣り針)で、自分たちの生きるための食料をもたらしてくれるとても大切なものとして大切に扱われてきました。

マカウは骨や歯、木、珊瑚、石など様々な素材を使って器用に作られていました。クジラの骨を使った釣り針が基本と考えられていたようですが、時には人骨で作ることもあったそうな。今では安価に作ることができるので牛の骨などで作られることが多いようですね。

自分たちがハッピーに暮らしていけるように、海と人間の大切な関係を忘れないように、今でも身に付ける人の多いアイテムです。また「幸運を釣り上げる」という意味からもハワイアンは好んでマカウ・フィッシュフックのペンダントを身に付けています。マカウはこのように力、繁栄、そして幸運、開運というすべてのラッキーな世界を表現するアイテムとされています。

本格的な骨から削り出したフィッシュフック、ハワイの宝の木であるコアのフィッシュフック、ハワイアンジュエリーのシルバーやゴールドのフィッシュフック…。自分のライフスタイルで選んでみてはいかがでしょう?



イカイカ(ikaika)

一般的にイカイカ(ヘルメット)と言われるこのラッキーアイテムを車のバックミラー部分にぶら下げているハワイアンを見かけた人、きっと大勢いるはずです。

ハワイ語の意味として「イカイカ(Ikaika)」は「強い」とか「エネルギーに満ち溢れてる」という意味。ヘルメットのハワイ語は「マヒオレ(Mahiole)」「マキニ(Makini)」。兵士がこのヘルメット(というか鎧の頭部分)をつけて勇敢に戦っていたことから、強さを表すラッキーアイテムとしてこう呼ばれるようになったのでしょう。あなたを守る、命を守る、そんなアイテムとしては最適なのかもしれません。車に欠けているハワイアンが多いのもそんな意味からかも。

自分の心に強さを呼び寄せたい人や、何かの競技に打ち込んでいる人、仕事や生活に「強さ」を求めている人などは身に付けてみてはいかがでしょう?


ククイ(kukui)のレイ

ククイは、マルケサス諸島やタヒチからハワイに持ち込んだ植物(木)のひとつ。日本の「古事記」に相当するハワイの創世神話「クムリポ」には「ククイはハワイアンを守るための木」と書かれている、ハワイアンにとってはとても大切な木でもあります。

ククイの実、ククイナッツは火を灯す油として、またロミロミ(ハワイアンマッサージ)に使うスペシャルなオイルとして使われていました。またハワイアンソルトと一緒にすりつぶして作る「イナモナ」はハワイの伝統的な調味料ですし、樹皮は染料としても活用されていたそう。さらにククイの実にはラアウラパアウ(ハワイアンハーブ)の効果もあり、ガジンダ症(感染症)や便秘の薬としても用いられました。

フラの世界では、ククイは高級なレイとして愛されています。何重にも研磨してククイオイルでコーティングしながら磨き上げるという大変な手間をかけて作られているため、昔は王族などハイレベルな人だけがつけることができたと言われています。

このククイの実を使ったアクセサリーは様々。レイ、ブレスレット、アンクレット、ペンダントトップなどのバリエーションが豊富で、自分の好みやライフスタイルによって身に付けることができます。

火を灯すことによって周囲を明るくすることから「足元(現在)や先(未来)を照らす聖なる開運の実」ともいわれるククイの実を身に付ければ、愛に溢れるアロハスピリットがあなたの中で拡がっていくかも。


アウマクア( ʻaumakua)のアクセサリーや雑貨

ハワイアンのネイティブは自然を崇拝していました。その「自然」の中にはオハナ(家族・一族)や自分自身を守ってくれている先祖の守護神も入っており、様々な生き物に形を変えて自分たちを守ってくれていると信じていました。

いまでもハワイアンがホヌ(カメ)やモオ(ゲコー)などのペンダントを身に付けている所以です。農業など陸を中心とした生活をしていたオハナは花や陸の動物、植物を、漁業などの有無を中心とした生活をしていたオハナは海の生物が守護神となっていたことが多いようです。さらに最近では「ハイビスカスは恋や明るい未来を」「モンステラは金運を」良くしてくれる、というような意味付けもされていいます。

守護神は次のような生き物に化身していると信じられています。(Wikipedia「アウマクア」より)
・ホヌ (honu/カメ…アオウミガメ)
・モオ (moʻo/ヤモリ、龍
・プエオ (pueo): プエオ (コミミズク)
・マノ (manō): サメ (en:shark) – (カウアイ島を除く全島で)
・アララ (ʻalalā): ハワイガラス (en:Hawaiian crow) (ハワイ島で)
・イオ (ʻio): ハワイノスリ (en:Hawaiian hawk) – (ハワイ島で)
・エレパイオ (ʻelepaio): カササギヒタキ (en:monarch flycatcher) – (カヌー作り手の女神)
・イイヴィ (ʻiʻiwi): ハワイミツスイ (honeycreeper) – (この鳥の羽毛は様々に利用された)
・アラエウラ (ʻalae ʻula):ハワイ・バン(鷭)(en:Hawaiian gallinule) – (この鳥の鳴き声は不吉と言われていた)
・ヘエ (heʻe): タコ (en:octopus)
・プヒ (puhi): ウナギ (en:eel)
・イオレ (ʻiole): ノネズミ (en:rat)
・イオレ・リイリイ (ʻiole liʻiliʻi): ネズミ (en:mouse)
・イリオ (ʻīlio): イヌ (en:dog)
・ペエルア (peʻelua)/エヌヘ (ʻenuhe)/ヌヘ (nuhe)/アヌヘ (ʻanuhe)/ポコ (poko): ケムシ (en:caterpillar)
・ポハク (pōhaku): 岩石 (rock)
・レホ (leho): タカラガイ (en:cowry)
・アオ (ao): 雲 (en:cloud)
・メアカヌ (mea kanu):植物 (en:plant)

もちろんハワイアンでないわれわれ日本人は家族(オハナ)にハワイライクな守護神がいるわけではありません。でも「自然を愛する心」はハワイアンと一緒。自然の多くの神様に守られているという考え方は基本的に同じなのです。

それぞれの(最近言われている)ご利益は機会があれば後ほど記事にするとして、とにかく自分が直感でピンとくるハワイアンジュエリーのペンダントトップを見つけて身に付けておくと、気分が落ち着いてきて、あなたの中にマナ・エネルギーが湧き出てくるかもしれませんよ。


虹(Rainbow/Ānuenue)

虹の島ハワイ。虹は、雨の恵みを忘れないためにメネフネが自然の美しい色の素材を集めてきてカフナ(神とつながる偉い専門家)がかき混ぜて作ったと言われています。

ハワイアンは虹にいろいろな意味を見つけていました。神々が地球を訪れるために使う道である、天国に運ばれる死人の魂の道である、神様がメッセージを虹に乗せて送ってくれている、何かがリセットされたり変化が与えられるときのシグナルである、などなど。いずれにしても人間のスピリチュアルな世界と、人間の日常の現実の世界とをつなげる「幸せに向かうための道」であると考えられてきたわけです。

ダブルレインボー(虹が二重に見える)を見るとハワイに愛されている、またハワイに戻ってこれる、といった言い伝えも。いずれにしても虹をシンボルにして何かを持っていると幸せになる、と多くのハワイアンは信じていますし、色鮮やかで清々しい虹を見ていると、そんなご利益もあるに違いないと信じられますよね。


番外編 ハワイ出雲大社のお守り

 

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ハワイ好きであればだれもが知っているこのハワイ出雲大社は、出雲大社の正式な分院。その歴史も、1906年に出雲大社教2代管長の命を受けて広島県出身の神職である宮王勝良がホノルル市で布教をはじめたことから始まっている由緒正しき神社なのです。
神社について詳しく知りたい方はWekipediaなどで一度ググってみてください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE

やはり島根の出雲大社に「厳かさ」はかないませんが、ハワイならではの明るく爽やかな「アロハの風」が流れているような気がします。

出雲大社が祀っているのは「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」、縁結びの神。恋愛系だけではなく、人と人との関係を上手くいかせたい人にはありがたい神様です。そのほかにも健康祈願、安全祈願、長寿祈願、学業成就などなど多くのご利益もあるとのこと。苦労した日本人移民の方々の幸せへの想いがこもっている様な気がしてなりません。

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お守りもハワイ出雲大社ならではのラインナップ。
お守り袋もカラフルで、星条旗柄、ハイビスカス柄、ホヌ(カメ)柄や「Happy」と書かれたファニーでハワイならではの柄を選ぶことができます。またサーファーのための「サーファー守り」、ホノルルマラソンのための?「マラソンお守り」などの変わり種も。

こんなお守りを身に付けていると、気分もアップしてくるような気がしますよね。

通販やオークションでも出回っていますが、やはりこういうものは自分自身で行って買いたいもの。ぜひ次回のハワイ行きで手に入れてはいかがでしょうか?

HISのOPツアー/ハワイ出雲大社とタンタラス

虹の島、ハワイ。

そのハワイでは虹の根っこにメネフネが宝物を隠してる、といわれていますね。

また、虹は「この世」と「あの世」の架け橋であるとも。

この架け橋があるから、愛する人が亡くなっても寂しくないのだ、と。

虹の根っこはメネフネが隠した、亡くなってしまった愛する人に会いに行いにいける入口、という宝の場所なのかもしれません。

 

sunrise

 

上海の気功師R氏とハワイアンのロミロミ師D氏。両師から教えてもらった、からだと心をクリアにする呼吸法に共通点が多すぎ。おまけに発売中のTarzanにもほぼ同じことが書いてあったので、ここら辺にアンチエイジングの秘訣があるのでは、などと思うのでメモしてみた。

共通点

●朝日を見ながらの深呼吸が一日を元気にする。(Tarzanには書いてないけど)

●口から息を吸ってはいけない。(細菌や邪気を吸い込むから)

●心をリラックスしたいときには吐く長さ~時間~を吸う長さの倍以上にする。そしてできるだけゆっくり、がコツ。

●運動機能を働かせるときには弾むように呼吸する。

●毎日続ける。

まあ、健康法はどれでも「続ける」ことが大切なんですな。

 
「パワースポット」「ヒーリングスポット」「神聖なお祈りの場所」…人によってその場所の感じ方や意味は違えど、『気持ちのいい場所』っていうのはあるもんです。私の経験した「気持ちのいい場所」を[Blessed Spot(祝福された場所)]として少しずつTake Note中。

[Blessed Spot in Mie] 椿大神社

tsubaki

椿大神社。「つばきだいじんじゃ」ではなく「つばきおおかみやしろ」。
三重に居を構えていながら三重のことをあまりにも知らなさすぎなので、意を決して(というほどではないけど)暇をみて近くの面白いところを廻ってやろうと思い立ち行ってみたわけです。

場所は三重県鈴鹿市。鈴鹿サーキットから車で約30分、小さな山がポコポコとも盛り上がっていてやけに可愛い景色が終わるあたり。少しそれっぽく言えば、伊勢平野を一望に見渡す鈴鹿山渓の入道ヶ岳の麓に鎮座されております、みたいな場所。

Wekipediaによれば
「式内社、伊勢国一宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。三重県では伊勢神宮・二見興玉神社に次いで3番目に参拝者数の多い神社であり、2013年には1,455,000人が参拝した。猿田彦大本宮とも呼ばれる。猿田彦大神を祀る神社の総本社とされる。」
らしい。

「全国の猿田彦大神を祀る社の本宮」ということなので、あの伊勢神宮の近くにある猿田彦神社の本宮っていうこと?まあ八百万の神の日本(ハワイもそうだけど)には神様がいっぱいいて、その関係性も多種多様だから由来を理解するのはけっこう難しい…。

詳しく知りたい人は
http://www.tsubaki.or.jp/

敷地の手前にある無料駐車場に車を止めて、ほんの少しだけ歩いていくといきなりの森。
鳥居をくぐってその森の中に足を踏み入れると、空気感がガラッと変わります。そう、伊勢神宮の鳥居をくぐって橋を渡ったあたりでガツンとくるあの感じ。
しとしとと降る雨がまた雰囲気を盛り上げてくれたりして。

いやいや、参道を歩いているだけでとても気持ちがよい。
深呼吸をすると息を吐くときに体の中から悪いものがどんどん流れ出ていく感じ。

スピリチュアル風に表現すると、神様(仏、天使、守護神、魂、霊、宇宙…)…福沢諭吉先生的に言うと「天」が自分を包み込んで浄化してくれる幸福感、とでもなるんでしょうか、そんな、いい気分。

ハワイのヒーリングにかかわっているにもかかわらず、理屈的には今一つ納得できていないけれども、絶対にある(と思っている)「天」のスピリチュアルな感じを肌で体験できる場所っていうのはなかなかないわけで。

余談になるけど、ハワイの「パワースポット」と言われて紹介されている場所にも「気持ちの良くなる場所」「そうでもない場所」「逆に気分の悪くなる場所」っていうのがあるわけです。自分との相性なのでしょう。(それにしても生贄のヘイアウが「気持ちいい」とのたまう人もけっこうたくさんいたりして)。私的に気持ちの良くなる場所っていうのは雑誌なんかで紹介されている場所の10か所に1か所くらいかな…。
まあそういう意味では、その1/10の場所がここだったのでした。tsubaki_daikoku

参道を歩いていると忽然と恵比寿さんと大黒さんが鎮座。
大黒様好きの私としては、なんとも奇遇な喜びがひとしおなのでありました。
(大黒様の体型も好きなのだけれど、その由来が男っぽくて好きなのです。どうでもいい話だけど)

本殿にお詣りをして(もちろん今に感謝して世界平和を祈願)、横にある根性が入るという鉄砲柱に張り手をかまし、そぞろ歩きしてみる。

本殿の少し奥には、高低差はあまりないにもかかわらず水量が半端でない迫力をかましている金龍明神の滝が。大明神川の水は、清くて柔らかい神水といわれていて万病に効く薬水とされているらしい。
ハワイにもこんなところがあったな、などと「八百万」で水を大切にするハワイと日本の共通点を考えた自分の仕事熱心さに自己満足した次第。

この神社をこよなく愛したパナソニックの創設者、松下幸之助氏寄贈した茶室も残っていたり、芸事の神様が祭ってある椿岸神社には吉幾三さん、梅沢富美男三男かのそれっぽい寄贈名があったり、時間があったら一日かけて満喫したい気持ちのいい場所なのでした。

椿大神宮
三重県鈴鹿市山本町字御旅1871

 

最近、体にいいということである漢方のサプリメントを摂取しています。

直径3~4mmの小粒のサプリメントで、大びんの直径8cmくらいの口から掌の上に流し出すわけですが、12粒~16粒が1回の推奨摂取量。

最近慣れてきて、サッと掌の上に瓶から流し出すと1度でこの推奨摂取量を出すまでに私の「漢方薬出し技」は熟達しました。

そして不思議なことに10回中8回は掌のサプリメントがどういうわけか13粒になる。

けっこうすごいじゃねーか。

でも、どうしても13という数が不吉に思えてきて、1粒を減らすか増やすという余計な作業を行うのが日常になりました。

 

それにしてもなんで13粒が嫌なんだろう。ふと気づいて考えてみました。

そういえば「13という数は不吉」っていうのを常識だと思っていた。いつのまにか。

13日の金曜日、ゴルゴ13、アポロ13…13の忌数字を逆手に取った物語もあったり。

物心ついた時から13を避ける人たちに囲まれていて、13にまつわる不幸話をたくさん聞いていて。

理由はキリストさんの処刑台が13階段だったから。キリストさんの13番目の弟子が裏切り者だったから、っていう漠然とした知識しかない自分に気が付いたわけです。

日本では4=死、9=苦なんかが忌数字で、昔なんかは病院に4階と9階がなかったりしたもんです。(いまもそう?)

でも4とか9よりも13を避ける自分がそこにいたりして。

別にキリスト教徒でも西洋人でもないのになんで13を避けているんでしょうね。

 

調べてみると(っていうかWikipedia見ただけだけど)こんな理由もあるらしいんだけど…

「未知数」説
原初人間が身体で計算できた数は手指の10と両足の2、計12であり、それを上回る13は「不可能(未知)の数」であるから本能的に恐れたとする説。

「非調和な数」説
古代より暦の必要性から時間や方位などに六十進法が使われており、中でも60の約数の一つである12はそれらを構成する基準の数として、12か月や12時間、12方位などのようにしばしば用いられてきた。生活に広く根付いた基数の12に対し、12より一つ多く素数である13は、その調和を乱すものとして不吉な数と考えられた。

 

まあ、いずれにしても少なくとも僕の生活にはあまり関係のない話で。

なんでそんなこと…迷信…に縛られているんだろう。

迷信、って余計だなぁ、って。

迷信のおかげで行動が制限されたり、意味のないプレッシャーをかけられたりするわけで。

心理学的に言うと、こういう縛られるプレッシャーっていうのが人間の精神には負担になることが多いのです。

几帳面な人ほど心因性になりやすい、なんていうのもそういうことなんですよね。

 

昔のハワイでいえば、迷信が「カプ」っていうタブー、やってはいけないこと、規則みたいなものになる。

女性と男性が一緒に食事をすると悪いことが起きる。

身分が上の人(酋長とか)の影を踏んだらマナを汚したことになるから死刑。

などなどのカプがあった。つまり迷信が法律を形作っていたような感じ。

 

もちろん役に立つ迷信もあるわけです。

産卵時期の魚を取ってはいけない、とかいう理にかなったものもたくさんあった。

日本でいえば「~~をすると罰(バチ)が当たる」なんていうのは、人間の道徳や倫理・哲学を教えてくれるとても素晴らしいものである場合が多いわけで。

こういうものがなくなったら人間は終わってしまう気もする。

 

余計な迷信は人間をダメにする、理にかなった迷信がなくなったら人間はダメになる。

いやはや、むずかしいぞ、迷信。

 

縛られる、ということが人間の精神と行動にどれだけ無駄に作用するか、っていうことを考えると、自分にとって必要な迷信なのか、自分の撮って不必要な迷信なのかを見極める「自分自身の倫理・哲学感」をもたないといけないのだなぁ。

一度、自分が縛られている「迷信」が、自分にとって必要なものか必要でないものかを考えてみると、心が軽くなるかもしれません。

 

ごくまれに、CMでジンワリと目頭が熱くなることがあります。

もちろん、ジンとくるその時の心情やシチュエーションがぴったりとマッチしたときだけに、ですけど。

たとえば、このauのCMは浦ちゃんの「海の声」含めてシリーズ的になんだか好きなんだけど、これは特に音できちゃいましたね。

懐かしくてやんちゃでピュアでな映像と、人間らしい歌詞とAIの歌声と。

 

『みんながみんな英雄』 歌詞:篠原誠

特別じゃない
英雄じゃない
みんなの上には空がある

雨の日もある
風の日もある
たまに晴れたらまるもうけ

振り向けば君がいる
前向けば友がいる
走って、転んで、寝そべって
新しい明日が待っている

悩んでは忘れて
忘れては悩んで
明日、あさって、しあさって
新しい未来がやってくる

 

おそらくもっと素晴らしい楽曲や歌詞はたくさんあるんだろうけど、少なくとも今回はこれにグッときちゃったわけです。

『雨の日もある、風の日もある、たまに晴れたらまるもうけ』

『走って、転んで、寝そべって、新しい明日が待っている』

みんな、こうやって生きているんだなぁ、なんてなんだか心が軽くなったりして。

 

癒しの仕事っていうのは、こういうものなのかもしれない。

お客さんにグッときてもらうこと。

 

最近、そんな風に考えています。

そう考えると、我々の仕事の原点っていうのは(ロミロミにしろなんにしろ)、感動を想像して提供することなんだ、ということになる。

なかなか、いい仕事してるじゃん、オレ。

もっと感動を作る、という仕事を襟を正していかなくちゃいけねーなあ…

などと(かなりクサいけど)、もう一回だけグッときちゃった今日の朝なのでした。

 

EWF

モーリス・ホワイト、アース・ウィンド&ファイアー。

かっこよかったなあ。
僕らの世代のちょっとおしゃれを気取りたいヤツらは、あれこれとウンチクを語ったもんです。

なにをかくそう、今でも広島行きの僕の車の中では彼らのベストは必ずかかるわけで。

あの世界観はかなり強烈だった。
愛とか平和をテーマにする曲が多かったなかで、宇宙を表現した、という。
おそらくこの世界観が僕のいまの古代ハワイアン好きに繋がっているのかも。

憧れのスター、とか言うんじゃなくて、憧れの世界、そのものだったような気がします。

最近、その憧れの世界に居た人たちが、どんどん亡くなってる。

寂しいと言うよりも、自分がそういう世代に…憧れの世界にいた人たちを送り出す歳になったことにに驚いている次第。

はたして今の十代の諸君には、こういった強烈な憧れの世界はあるのだろうか。
なかったとしたら、それは僕たちの責任だ。

合掌。

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3年前の大島渚氏葬儀の礼状にあった本人直筆のメッセージ。
私がもらったわけではないのですが、知人がいただいたのを見せてもらったのです。

あの当時は、この言葉がなんだかその時の自分の心に響いたんですよね。グッときた、というか。

最近、自分の運命を
「人から与えられるもの」
「天が決めるもの」
と思っているのか、思ってもいないのか、自分発信で行動しない人が増えているような気がします。自分も含めて。

あるハワイ伝統医学の達人のワークショップで通訳をしていた時に、生徒さんに向かって彼が言った言葉を思い出します。

「なんで君たち(日本人)は自分から行動しないんだい?」

ロミロミを習いに来るほとんどの日本人が、言われたことをやるだけ。
言われたことは器用にこなすんだけど、応用が利かないし、新しいものを自ら学ぼうとすることがない。
できないでいることについては「だって教わっていないんだもん」で終わり。

ロミロミっていうのは日本でいうと落語と似ています。
師匠の技をこぞって盗む。これが基本。

ですから「学ぶ」ということは「先生が生徒に伝える」のではなく、「生徒が先生から引き出す」のが常識なわけです。

ある東大の先生に言わせると、日本の教育は「グライダー教育」なんだそうです。
自分で飛び立つことを教えない。
先生が手取り足取り手伝って飛ばしてあげて、そのあとは個人の自由。
だから飛び続けることも、着陸することも苦手なんだそうです。

自分も含めて、恵まれ過ぎているんだな、と思います。

別に大きなクルーザーや別荘を持っているわけじゃないけど、ボーっと生きていても食いつないでいけないことはないわけで。

時々「なんとなく」生きていることにいつの間にか埋没してしまっている自分に気づいたりします。
この言葉と出会ってから3年。ちょっと埋没しかけているかも。

自ら燃える存在にならなければ。

調べてみると冒頭の言葉は、明石海人という方がハンセン病と闘いながら残した「白描」という歌集の序文にある言葉です。
歌の方は昔の文体で、なかなかおどろおどろしいところもあったりしてなかなか読みにくい。
ただこの序文が、いまの健康でいて何不自由ないはずの自分にとって、心の奥底を奮い立たせてくれるものだったので、ここに残しておきたいと思います。


白描 明石海人

序文
癩は天刑である
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。
― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった

Fire

寒い。ここ数日、ほんものの冬になってきました。車の温度計は-1℃。そりゃ寒いわけだ。

-20℃のスウェーデンに住んでる友人からは笑われるだろうが、-1℃だって寒いものは寒い。

まだ空が暗い朝6時には(遅くとも)家を出なければいけない犬の散歩は、戦いへの出陣と一緒。冬の痛さから身を守るためには戦いに出るレベルの完全防備が必要なのです。

頭はニット帽子(最寒のときには北の国からのゴロウさん的な耳隠しのある帽子になります)、マフラー、極暖ヒートテックに山用の分厚いダウン、裏フリースのパンツ。

そんな寒さとの戦いの中で、太陽が海から顔を出す瞬間はとてもホッとする瞬間でもあります。特に寒い冬には。

太陽が頭を出す瞬間、空はパアーッと明るくなり、フワッとした暖かさが空気いっぱいに広がっていく。

かなり古い表現だが加山雄三氏の「幸せだなぁ」というセリフが頭をよぎったりして。

そんな中で、ふと思ったのでした。

「そういえば最近、『火』を見なくなったな」

と。

今朝はこの「火」について思いをはせたのでした。

 

つい最近まで、石油ストーブにガスコンロ、ちょっとお金持ちの友人の別荘には暖炉があったり、田舎のばあさんのところに行くといたるところでたき火で焼き芋を作っていて、火はすごく身近なものでした。

それが今やエアコン暖房、床暖房にIHコンロ、たき火をするおじいさんの数もめっきり減っていたりして。

火を見る機会は極端に少なくなってきたような気がします。

火。

人間に明るさと温かさを与え続けて50万年と言われているそうです。

はじめのうちは落雷や火山で自然発火した火を大切に絶やさないように守り続けていた、とオリンピックの聖火みたいな話もあったりして。

火山の噴火や火事といった災害をもたらすのも火、明るさと温かさ、そして肉や魚を焼き、獣から守ってくれる人間として生きていくのに欠かせないのも火、っていうわけなんですな。

人類の火への想いとは、こういった畏怖と愛ではないでしょうか。

この想いは日本人やハワイアンが今でも心の中に持っている自然への気持ちと似ているのかもしれません。

だからこそハワイアンに一番人気?の神様はペレ、火の神なのかも。

今でも噴火を続けているキラウエア火山(ハワイ島)の火口に住んでいる火の神ペレは、火山に対する人々の畏怖心と、それとは裏腹な憧れにも似た愛情を集めています。

 

考えてみると、人間を取り巻く環境というのはそういうものなのかもしれませんね。

魚、という恵みを与えてくれる海は津波で人を襲い、

雨、という恵みは洪水や地滑りで人を襲い、

大地、というなくてはならない恵みは地震で人を襲う。

それだけではなくて、

自分にとって不可欠だった夫(妻)が、いつの間にか敵対する存在になっていたり、

自分に何でも与えてくれていたお金が、いつの間にか自分を追い込む存在になっていたり。

 

「無くてはならないものは、時にはとても怖いものにもなる」

っていうのが世の常なんでしょうね。

 

火が明るさと暖かさを与えてくれていた時代は、おそらく感動のハードルが低かった。

たとえば、どんなに寒いときにでもたき火の周りに人が集まり、寄り添っていた。

でも、明るさや温かさを電気が簡単に作ってくれていると(本当は簡単に作ってくれてるわけではないんだけど)、感動の矛先がテレビやスマホやゲームの画面の中に閉じ込められている、みたいな。

文字通り、温もりが失われている、みたいな。

 

ありがたみ。

これを忘れてしまうと、人の温もりや感動も忘れることになってしまうのかもしれません。

畏怖があってこその、ありがたみ。

 

火に、自然に、そして妻に、家族に、犬に、友人に、ありがたみを感じていたい、と思った朝なのでした。

ホオポノポノについて虹の写真集で有名な高砂淳二氏が書いた本。
カイポ・カネアクア師、先日亡くなってしまったホオポノポノの第一人者、アカさんへのインタビューをもとに書いた本です。
ヒューレン博士との本とは違った伝統的なホオポノポノを垣間見ることができるかもしれません。
私個人としては、今までの本よりもホオポノポノを古代ハワイアンの考え方に近い形で理解しているように感じました。

心を「凪」の状態にクリアにしたい方にお勧めです。

『夜の虹の向こうへ』高砂淳二/小学館


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Noa Yoshi Profile

(略歴…Amazonより)
東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、広告業界でマーケティングプランナー。島々の宣伝にたずさわり島にハマる。その後ハワイに渡り、マッサージ会社を設立、ハワイのヒーリング研究のためネイティブハワイアンのカフナ(高位の専門職)や長老のインタビューおよび文献研究を始め、現在に至る。
(職業)
●クウイポロミロミスクール&サロン経営
●執筆、講演活動(ハワイ・ポリネシア・ヒーリング・サロン経営)
●【ロミセラ】主宰(ロミロミとハワイの癒しをもっと勉強したいセラピストたち)
●心理カウンセラー(ハワイの叡智で心を楽に)
●国立琉球大学国際地域創造学部ウェルネス研究プラットフォームアドバイザー
(執筆した本など)
http://www.amazon.co.jp/NOA-YOSHI/e/B006474ZB8/
(Facebook)
https://www.facebook.com/noayoshi
(Instagram)
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(Twitter)
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